神社の参拝方法の手水舎は何のためにあるの?

文化・芸術

こんにちは!

今回は、神社の境内に設けられた、手水舎について明記していきたいと思います。

神社の境内に入ると。屋根付きの洗面所のような水が出ているところを見かけるかと思います。

どこの神社にも設置されているといっても過言ではないほど、マイナーなもので、恐らく、参拝などに行って見ればすぐに「あのことか…」と気付くものかとも思います。

多くの手水舎には、柄杓(ひしゃく)が置かれています。

そして、石造りの洗面台のようなところに、綺麗な水が出て、貯められている風景を目にされる方も多いかと思います。

だから、手水舎のへの具体的な関わり方の方法を教わっておれれない方の中には「この柄杓ですくってこの貯められた水を飲むのだな…」と思われる方もおらるかと思います。

しかし、それは、本来の手水舎の目的ではありません。(つまり、そこで水は飲みません!)

では、手水舎とは一体何でしょうか。以下に明記しました。

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1.神社の参拝方法について手水舎の目的は何?

神社の鳥居を潜ると、目の前に境内が広がりますね。参拝方法も心得て鳥居をくぐり、しばらく歩くと、手水舎があります。あれはなんの目的でつくられてのでしょうか。

あれは、水飲み場ではありません。柄杓があるので、疲れた体、乾いた喉を潤すためにあると思う方もいるかと思います。確かにそうですね、

2.神社の参拝方法について手水舎の本来の目的

そもそも神社自体、山の上の方にある場合が結構多いし、おやすみ処の近くに神社がある場合も比較的多いようです。しかし、参拝に行った先の手水舎の水は、飲み水用の水ではありません。手の汚れや口の汚れを落とすためのものに使用します。

もともと神道では清浄を重んじる宗教であり、穢れを払う考えが基本にあります。不浄をなくし、浄い状態を保つことが大事とされています。つまり、手や口を漱いで清浄の状態に持っていくことが目的とされているようです。

2-1.神社の参拝方法で手水舎の役目は「お浄め」行為である

これは単に、自宅に帰ったときに、手荒い嗽をするような物理的な殺菌効果を狙ったというよりも、参拝時の宗教的な意味合いが強いでしょう。そもそも、神社が成立し始め、手水舎が設けられるようになった頃に殺菌作用を科学的に把握していたとは思えません。

消去法で考えれば、手水舎がどのような目的で設置されているか理解できるかと思います。浄めた後、神社の拝殿に向かって歩いて行きます。

2-2.神社の参拝方法で手水舎は「祓う」こととも関係がある

神社の境内を歩くときは真ん中を避けて歩くのが礼儀といいます。これはなぜかと言うと、真ん中は神様の通り道であるという理由があるようですが、実は、真ん中を歩いても大丈夫であるという説もあるようです。参拝方法と一口に言っても、幾つかの考えがあるようです。

さて、先程、手水舎の水で漱ぎ、それが浄められる意味を持つと述べてかと思いますが、これは「禊祓い」の意味と通じるものであると思います。神道では不浄を浄めることを良しとすることも前述したかと思います。

しかし、これは、滝行をして身を浄めるシーンなどを見かけた方もおられるかと思いますがそれと通じるものがあります。

3.神社の参拝方法について手水舎の設置経過の背景

3-1.神社の参拝方法の手水舎とお浄めと神話

それから、これは古事記のワンシーンの、夫であるイザナギノミコトが妻のイザナミノミコトを黄泉の国で見て、恐ろしい姿をしてイザナミノミコトが追いかけてくるところを逃げ切り、その後、湖で自身の両目と鼻を洗う場面が出てきます。

しかし、この行為も、両目と鼻を水で「浄めている」と見てとれるかと思います。

その後、両目、鼻から三貴子が生まれてきます。三貴子とはアマテラスオオミカミ、ツクヨミノミコト、スサノオノミコトのことです。

3-2.神社の参拝方法の手水舎と神話の場面

何れにせよ、こうして不浄のものを払うことによって、あらたな命、力が生まれてくるのは神道の持つ「浄め」の効果の特徴の一つと言えるかもしれません。確かに、手水舎の水は飲みません。

同様にイザナギノミコトが水で両目と鼻を洗うシーンは出てきますが、水を飲むシーンは出てきません。神道、古事記ではあまり水を飲むということはそれほど重視はされていなかったような気がします。

3-3.神社の参拝方法で手水舎と神話の場面の展開

喉を潤すというより、洗い浄める方法の一つとして挙げられているような気がします。再度、古事記に戻って考えてましょう。古事記に因幡の白兎の話が出てきます。

概略の述べると、対岸を渡ろうとした兎が岸と岸の湾に蠢いていた鰐鮫の群れを騙して、飛び石を跳んで渡った後に鰐鮫が騙されていたことを気が付いて白兎の皮を剥ぎ取ってしまい、その後、悲しんで泣いている白兎の側をオオクニノヌシノミコトが通りかかります。

4.神社の参拝方法の手水舎と御神水

4-1.神社の参拝方法の手水舎と神話の中の塩水

そこで、泣いている白兎に、なぜ泣いているかと尋ねると、怒った鰐鮫に皮を剥ぎ取られた事を告げます。

可哀想に思ったオオクニノヌシノミコトは、その治療法として皮を剥ぎ取られた兎を海の塩水で洗ったが、逆にひりひりと痛み、さらに可哀想な目にあわせてしまいました。

そこで、今度は真水で洗い、その後蒲の穂のその体を包み、元の毛皮の生えた白兎へと戻った。といった話です。

4-2.神社の参拝方法の手水舎、そして飲料水との関係

ここでも、水で洗う行為が出てきます。しかし、水を飲んだという描写が出てこないようです。このように、神道では、水は浄めるものに使い(飲み水は確かに大事ではあったでしょうが。)、飲料水としての役目としては紹介が少ないようです。

「御神水」という言葉もありますが、これはどちらかというと仏教に関係する民間伝承的説話に登場する場合が多いのかもしれません。何れにせよ、神道では手水舎は「浄めのためのもの」と覚えておくとよいでしょう。

これは多くの神社で共通していることなので、これに関する参拝方法はあまり悩まず、手水舎については多くの神社で同じ様に振る舞えばよいかと思います。

5.おわりに

如何だったでしょうか。

神社の手水舎というと、鳥居を潜って、参道の横にある、水道で、参拝のついでに、手を洗ったりするような、また、水飲み場のような所。といったようなイメージしかお持ちでなかった方もおられたかと思います。

しかし、手水舎はれっきとした浄め場の1つで、口を漱いだりする場ではありますが、所謂、水飲み場の目的で作られた訳ではありません。

このような、一見しただけでは、「?」と思うような所も、昔は当たり前のように、古式礼法に沿って神社で参拝していたであろう参拝方法に感慨深いものを感じる方は、少なくないのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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