こんにちは!
今回は、神社参拝方法についてのお賽銭のことについて、少し深く考えてみたいと思います。
お賽銭は、参拝しに行き、お願いごとをする際に、行いますね。これはもう、定番で、多くの方が当たり前のように行なっていると思います。
しかし、その具体的な金額などを含めて、その文化的背景は?と訊かれると、あまり深くは考えてきていない場合が多いのではないでしょうか。
今回は、そんな「お賽銭」に関係する項目を列挙しました。
Contents
1.はじめに
神社での参拝方法で気になるのは、お辞儀の仕方や鈴の鳴らし方を思い浮かべる方がいますが、他にはお賽銭の金額ではないでしょうか。
また、お賽銭の仕方も意外とどのようにするのが適切なのか深く考えたことがない場合も多々あるのではないでしょうか。
まず、お賽銭自体は特に制度的に金額が決まっているわけではありませんが、ゴロを合わせるとよいという考えが有るようです。
2.神社での参拝方法のお賽銭について具体的な例
2-1.神社の参拝方法でお賽銭の金額はどうすればよい?
勿論、高ければ高いほど(神社運営的には助かるかも知れませんが)宗教的に良いというわけでは有りません。
先程の、ゴロ合わせの話については、特に制度的に決まっている訳ではないという趣旨の話をしましたが、この金額に合わせるといわゆる「縁起の良い、運が良くなる?」と思われている金額はあるようです。
2-2.神社の参拝方法でお賽銭の「具体的な」金額はどうしているの?
よくいわれるのは以下の通りです。5円 はご縁、11円 はいい縁、20円 は二重に縁、25円 は二重のご縁、115円はいいご縁、415円 はよいご縁、485円は四方八方ご縁などがあります。
また、1万円は円満な人生などの円満に繋がるので、良いとされています。また、逆に、ゴロがあまりよくないものもあります。
3.神社での参拝方法についてお賽銭とその文化を考えてみる
3-1.神社での参拝方法でお賽銭の金額をさらに深く考えてみよう
例えば、10円は遠縁、65円はろくなご縁が無い、75円はなんのご縁も無い、85円はやっぱりご縁が無い、500円はこれ以上効果、つまり硬貨が無い。ということだそうです。
しかし、ゴロが悪いというのは、表現の仕方の問題もあるので、もし、手元に10円しかなかったら、それでも構わないでしょう。また、10円ならば「重縁」で「重なる円」、85円ならば8は八と書くので末広がりということで、「末広がりに運が開けてくる」ともいわれているようです。
3-2.神社の参拝方法についてお賽銭と「金属」の関係
また、ここでは言及されていませんが、50円と言うのも5が重なる円とも受けとれるわけです。勿論これは、ここでの考えなので、広く一般的な考えとは言い切れませんが、受け止め方で変わってくる部分もあるということになるでしょう。
ちなみに、賽銭は罪や日常の穢れ事を賽銭に移乗させて、払う意味もあるようです。なので、単に金銭を納めて終了するというものではないことを加えておきたいと思います。これは、特にここでは直接関係あることではないと思われますが、
例えば、金属音たとえば寺の鐘や錫杖などは魔を払う効果があるといわれていますが、この、賽銭も納める時、金属音はするので、そのような意味では、賽銭も魔を払う効果があるかもしれません。
3-3.神社での参拝方法でお賽銭は昔も今も高額を納めようとしていた?
日本以外の東洋の国でも、風鈴が鳴る音は魔を払う効果があるという説があるようです。そういう意味で言えば、お札はあまり効果がないといえるかもしれません。
しかし、賽銭は気持ちの問題も大きく関与するので、お札で納めてはいけないということではないでしょう。また、高額の賽銭についていえば、当然、江戸時代などは小判があったので、小判で賽銭をする人も全くいなかったわけではないでしょう。
ただ、小判は、時代や相場によって変動はあったものの1枚、7万円〜8万円程したと言われているので、それほどまでの金額を参拝する度にお賽銭するとは思えないので、この点は、程度とその時の判断の問題と言えるでしょう。
4.神社での参拝方法、お賽銭とその文化
4-1.神社の参拝方法について、お賽銭とお年玉の関係
また、賽銭とは直接関係ないが、金銭と関係する話をすると、正月のお年玉はもともとお餅であったと言われています。正月に神社などでお祭りの一貫として餅まきをする所がありますが、それとも関係があると思われます。
餅に触れると神聖な力に触れることになり、開運に繋がる考えがあったのでしょう。いずれにせよ、それが何時しか金銭にとって変わって賽銭の形になっていったと思われます。
4-2.神社での参拝方法でお賽銭と鏡餅
白くて丸い餅は最近はあまり見かけません。正月の鏡餅が販売される時期になると扱うコーナーで陳列されますが、それいがいではあまり見かけませんね。
しかし、昔はそういう意味で重宝されたものといえるでしょう。単に飾って置くためのもの、食べるためのものだけではなかったと思われます。
5.おわりに
如何だったでしょうか。
最後の方の解説は、お賽銭から少々、脱線してしまいましたが、神社参拝の際は、このようなことにも馳せながらお賽銭をするのも面白いかもしれません。
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