こんにちは!
神社に行くと、鳥居をくぐり抜けて、柄杓が幾つか置かれ、水が流れて洗面台のようなところに蓄えれている場所を見かけます。勿論そこは洗面台ではありません。「手水舎」(てみずや・てみずしゃ・ちょうずや・ちょうずしゃ)と言って、神社での参拝の際に手や口を漱いで浄める場所を指します。
今回は、この手水舎について解説します。
Contents
1.はじめに
神社での参拝方法で手水舎というものがあります。あそこではなにをしているの?と思われる方がいると思います。もちろん、見ていると大方察しがつくと思いますが、手を洗う場所です。手を洗う場所に限らず、口を漱いだりする場所でもあります。
これは、単に物理的に口腔を洗う、手を洗う役目のみでなく、口や手を「浄める」(きよめる)効果もあります。これは、これから参拝をするに当たって、神前で失礼の内容にするためでもあります。
2.神社と参拝、その清浄さ
2-1.神社の清浄を重んじる文化
ではなぜ神前で浄めないで参拝することが失礼に当たるのでしょうか。それは神道では清浄を重んじ、不浄を忌避する文化が昔からあるのでそれに則ってのことといえるでしょう。
手水舎で洗わないからといって、流石に神社関係者に捕まるということは先ずないと思いますが、やはり昔からの習わしに沿うことはこうした儀式的行為を行うにあたって大事なことになるかと思います。
2-2.神社においては不浄を浄める行為がよく行われる
参拝した人全てに行うことはないと思いますが、滝に打たれたり、(井戸などの)冷水をかぶる行為を見かけたことがあるでしょう。これらは「浄める」行為になるかと思います。こうして不浄のもとを落としていきます。この不浄のもとを「穢れ」といいます。
この穢れを払うのを如何に良く行うのが神道の作法の大きなポイントになるといっても過言ではないかもしれません。
3.神社と日々の清浄に関する行動
3-1.神社と清掃
また、穢れを払うのは、何も滝などのような水に体を打ち付け、いかにも修業を積んでいるということを行わなくとも、日々の活動のなかでその片鱗を垣間見ることは神道においてはしばしばあります。それが所謂、境内の「清掃」です。
あれも掃き清めるといった考えが反映しているとってもよいのかもしれません。勿論、物理的に落ち葉、枯れ葉や塵、芥を取り除くために掃除を行うということは否定はしないでしょうが、
それ以外に、上記で挙げた様な、宗教的な意味での穢れを払う行為は、神道において重んじられる行為であるとされます。
3-2.神社に関する穢れを払う行為
尚、滝に打たれたり、また、井戸の冷たい水をかぶり穢れを払う行為は、その水に宿るとされる浄めの力を用い洗い流していく宗教的な行為と関係され、詳しくは「斎戒」(さいかい)といわれ、ほかに、「物忌み」(ものいみ)といわれます。
この呼び名はよく使用される。そのほかに、精進(しょうじん)、潔斎(けっさい)なども同じ意味の語句です。古えの制度上では、斎戒についてはいくつかの期間に分割されて呼び名が変わるとされています。
3-3.神社の清浄を重んじる考え・行為とその儀式化
つまり、散斎(さんさい)(※これは荒忌(あらいみ)・大忌(おおいみ)とも言われます。)、致斎(ちさい)(※これは真忌(まいみ)・小忌(おみ)とも言われます。)と表現され、つまり宗教的行事の大小によってその期間を区分しているとされます。
この「物忌み」という言い方のなかの「忌み」つまり「忌む」は「斎む」とも書きます。
「いみ」の場合考えると、忌服屋、斎服屋(いみはたや)、斎食(いもひ、いみひ)、斎戒・諱忌(ものいみ)、忌神(いみのかみ)、忌柱(いみはしら)、忌火、斎火といわれる言葉が挙げられますが、ほかには事忌(こといみ)など多く複合する言葉として使用されます。
この様に、清浄を重んじたり、不浄を除こうとする考えや行為は細かく儀式化されてきた経緯が神道にはあるようです。
4.神社と参拝方法について手水と洗う行為
4-1.神社に関する場合では「忌む」自体の中に幾つか意味がある
しかし、前述の「いみ」の箇所で説明してきたことは、主に祭祀に使われるので、それ以外ではあまり馴染みがないかもしれません。また、よく、葬式時に「忌中」と書いてある張り紙などを見ますが、もともとは、これもこの「忌む」と関連があると言えるでしょう。
「忌む」自体に、喪を弔う行為や病を問う行為(病そのものを患っている例も範疇に入ります。)や鳥獣の肉を食するなどは避けるべきとされます。また、血の穢れなどにも避ける様にする慣習があるようです。
4-2.神社での「清浄」と手水舎での「洗う」行為との関係
年賀はがきに関することで、身内で亡くなった人がいればその年は「喪中」として年賀はがきの出し受けをしないという行為もこの忌む行為と関係があるといえるかもしれません。
転じて、飲食や行動を慎しみ、「心身を清浄」にする。一定期間禁忌事項を守り、身を慎しみ「心身を清浄」にする。この「清浄」が手水舎の「洗う」行為と関係が深いといえるでしょう。
5.おわりに
心身を清浄に保つことは、神道思想でも重要視される考え、行為であるとされます。身心上の罪や穢れを水で洗い、そして清める「禊祓い」(みそぎばらい)や、前述した「斎戒」(さいかい)など特定の儀式的行為以外にも、神社に行くと常日頃から境内を掃除している神社関係者の姿を見られる方もいるかと思われます。それも「掃き清める」行為として、大事な仕事の1つと言えるでしょう。
この様に、手水舎で浄めることは確かに大事とされますが、日頃からの心身の清浄さを保つ行為、習慣も神道ではとても大事な視点とされているようです。
コメント