こんにちは!
いかがおすごしでしょうか?
ところで念流以外の他の剣術流派はどうであったのであろうか。明治まで残った剣術流派の勢力や幕末の関東地方に広がった流派は、その影響力を暫く維持し続けたが、
その後流派の枠を超えて近代的な剣の道ができ上がる過程で多くの人材を輩出し取り込む程の隆盛を持ったとされる。例えば明治中頃の関東地方の剣術流派の勢力についてはどの流派が有力流派として勢力を保持していたのだろうか。
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1.はじめに
先ず、明治中頃まで勢力を維持し続けたその他の古武道なども含む剣術流派の勢力を知る為には、当時発行されていた武術の養生名言や武術の英名録、日本の武術名鑑等を参照するとよいらしいが、なかなか読むのに大変な思いをするかもしれない。
2.念流剣術以外の剣術の時代とその状況
2-1.念流剣術以外にも、その地で勢力があった剣術流派の状況
しかし、これらを参照すると当時関東地方に勢力を張っていた流派名と人物名が解ってくるらしい。だが、これら以外に、戦時中に資料が四散してしまったのだろうか…、実際は幕末から明治中頃の剣術の分布状況までは中々分からない。
断片的に知る事ができる様だが詳細は不明なようだ。勿論、現代においては色々な調べ方もできるだろうが、要の資料が殆ど無いとくれば当時の状況を知るのに困難を極めるのは想像に難くない。
2-2.念流剣術伊以外の剣術伝承。加筆訂正もあったらしいがその真相は…
そこで、やはりどのような流派が勢力を維持し続けていたのか知るには先に挙げた、当時発行されていた武術の養生名言や武術の英名録、日本の武術名鑑を探ることから調べていくとよいらしい。しかし、体裁を取り繕うとした文書もあったのか、
明記されている流派名や人物名の状態から修正を加えられたであろう資料もあるらしくその辺は気をつけないといけない様だ。それら資料等は修正を加えて発刊されたらしいものの全くの不正確というものでもないらしい。
3.おわりに
港湾やその他の地域名が全くその当時まま記載されているかというといささか疑念がのこるが、「調査中である(故に現時点でわかるものを書いてあるの意味だろうか)」といった趣旨の注が打っているものもあるらしいので、
その辺はある程度考慮すべきなのだろう。尚、奥山念流が 30名程、念流が25名程、甲源一刀流が20名程、その他詳細不明な2つの流派が各々50名も減っている。
その分、神道無念流は200名増えているらしいが神道無念流は前述した新陰流の流れに関与している流派で、幕末から明治にかけて全国でもトップレベル的な広がりを見せていたようだ。
また、現代剣道の基礎の1つを成していると言っても過言ではないようだ。
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