念流について5 念流剣術体得は鮮烈であったが、後に馬庭念流と、その後へと続いていく…

歴史・地理

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いかがおすごしでしょうか?

さて、馬庭念流について話を戻すと開祖の樋口又七郎定次。彼は、友松氏宗偽庵から念流の師匠が弟子に与える免許を受けて、故郷の上野馬庭村(現在の多野郡吉井町)で道場を開いており、その地名から馬庭念流と呼ばれた関係の話は既に述べたが、

その馬庭念流はやはり他流試合を認めていないということで、そもそも本家本元の念流が他流試合を禁止おり、ここから一子相伝まではいかなくとも、無闇矢鱈に分布させていく流派ではなかったことが窺えるようだ。

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1.はじめに

しかしながら、剣一筋に堅実過ぎるほどの流派でなく鉄麒麟(てつきりん)という隠し武器も念流で用いられていたようだ。やはりそれだけの流派なので戦いに相対することとは実戦についても深く考慮することであると思っていたのだろうか、ひと工夫もふた工夫も趣向を凝らしていたのかもしれない。

2.念流剣術の鮮烈さは馬庭念流へと続いていく

2-1.念流の剣術は鮮烈であった。それは鵜戸神社と、馬庭念流にも関わる

さて、念流が生まれてくるにあたり、鵜戸神社の洞窟で開祖が籠って修行した話がよくでるが、該当の神社は宮崎県日南海岸にある、運玉投げなどで有名な神社である。ご神徳は結縁、安産、育児、海上安全が主なものらしい。豊玉姫命と御子育児について関係が深く安産、育児を願う人々の信仰の拠り所となっている。

ともあれ、このほか、念流、陰流の剣法発祥の地として、また漁業や航海の守り神としての信仰も篤く、お守りも多種多様なものがあるようだ。また、本殿の前の磯付近にある霊石の「亀石」の穴の中に玉を投げ入れて見事入ると願いが叶うという伝承がある。

2-2.念流の剣術は鮮烈であった。後継の馬庭念流と似た流派名もあるが…

結構前に挙げた話だと思うが、剣法発祥の土地とも名高い当神社とその地は結局、兵法三大源流の内の2つまでもがこの地を経て確立されているに他ならないだろう。

それは剣法の達人というべきか、剣聖というべきか念阿弥慈音が「念流」を、愛州移香斎が「陰流」を鵜戸神宮において御神示を授かり、開いたことによるものであるといわれている。

なお、念流と関係ある話に、念阿弥慈音(つまり念流)門下の一人である中条兵庫頭長秀が「中条流平法」を作り上げ、越前の斯波家の二人の家臣に伝承していったという。

ところで、ここで余談を話すと「扶桑念流」という流派があるが、これは「念流」という名前が付いているので念流の派生流派かと思われる方がいるかもしれない。しかし、この流派の開祖は元々、鹿島新当流や神道無念流や天然理心流を学んでいたようだ。

3.おわりに

鹿島新当流は神道流と関係が深く、神道無念流の開祖は新陰流や陰流と関係が深い流派を学び、天然理心流(新撰組で有名な剣術流派)は鹿島新当流と関係があるという。

すると、念流というより陰流や神道流の影響を受けていると予想される。なので、名前が似ているからといって、決めて掛かると間違う場合もある。

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