こんにちは!
こんにちは、ようこそ、おいで下さいました。当ブログでゆっくりくつろいでいって下さい。
このブログを書こうと思った切っ掛けは特に差し当たって有る訳ではないのですが、日々徒然なるままに何も考えずに生きていくのはつまるところは、頭を使っていないということにもなるかと感じ、
それはあまりよくないと思いこのブログを書こうと思ったのが大きな理由の1つです。人間というものは、特に、現代社会に慣れ切った人間は、日々頭を使おうとして生きないようにすれば可能です。可能というのは少し語弊がるかもしれません。
この点について、少し詳しく言えば、現代社会はあまりにも便利になり過ぎてしまって、少し気を許せば、特に、「否、勉学があるじゃないか。」、「否、仕事があるじゃないか。」といった意見があることでしょう。当然、それらは楽な事ではありません。
しかし、その2点を払ってしまえば、やはり、頭はあまり使わないで生きられるようになってきているという事であります。これは、今言われ始めている訳ではなく、結構以前から言われていたことであります。
つまり、便利になり過ぎてしまってきているということであります。便利になると、いままで苦労して導き出した技能を2段、3段ととばして目的の状況に辿り着けるようになります。「否、そのようなこと言っても勉強はやはり苦学であるし、
仕事も勤労と言っても、この労は苦労の労で、『労せず○○する』の言い方の如く、『つかれる』、『つかれ』などの大変さを表すものだ。」という意見もあるでしょう。確かにその通りです。間違いではないと思われます。
しかし、よく考えてみればわかると思いますが、昔、人の足で運搬を行わなくてはならなかった時代は、それこそ『つかれる』というレベルのものではなかったと思われます。また、病気や怪我も現代以上に身近であったし、
それを避けて生きていくことは至難の業であったとでしょう。これを避けるために如何にすればいいか思考した人間の姿はあちらこちらに見て取れたと思われます。これが大八車や馬車が出現されてきたら、一変し、その分の憂いはかなり薄まったと思われます。
人々はもはや、足腰に延々と負担をかけなくて済むようになりました。馬車に至っては、動物の操縦をしさえすれば、今の自動車に通じるぐらいの機能もあったといっても良いかもしれません。その後、エンジンで動く自動車が開発されました。
これでまた一変しました。人々は動物の気をなだめる術も、動物の操縦を身に着ける術も必要なくなったと言えるでしょう。スピードも馬車の何倍ものスピードで移動が可能になりました。動物も人間と同じく病気や怪我で動けなくなります。
しかし、エンジンは病気をすることはありません。故障や耐用年数があるが、動物を直すよりも易く、また、大量生産が可能であります。こうして、人々の手に自動車が渡るようになりました。
しかも、馬車では室内の空気を一定に保つことは難しかった問題がありましたが、自動車ならそれが可能となりました。車内エアコンが装備されたものも登場しました。こうした、人々は移動における事故、怪我で悩む、つまり頭を使う状況を回避していきました。
便利になったのです。このような現象は様々な分野で見られるようになりました。鉄道、不動産、医療、教育、その他商業のさまざまな部分で、オートメーション化が進んでいきました。その分、苦労がなくなり、
快適になったが悩みがなくなったので頭も使わなくなりました。しかもいまやボタン一つで世界の裏側まで連絡が行きます。情報が行きます。しかも一瞬であります。頭を使わなくなる訳であります。「素晴らしいことである。それが本当にいけない事だろうか?」
という意見が当然出てきます。素晴らしいことには違いありません。こうした進歩は人間だけにみれられといっても過言ではありません。積極的に推進させていくべきことと思われます。しかし、人間は肉体を持った生命体であります。廃用性症候の言葉の通り、
使わないと不必要なものと認知され衰えていくという性質を忘れてはなりません。科学的進歩の進歩領域はかつて人間が負担し頭を酷使して使用していた領域であるとも言えます。それを科学が替わって任ってくれているとも言えます。
このことから、科学的進歩をすれば、するほど、進んで負担をどこかで設けないといけないという矛盾した状況が生まれてきます。つまり、頭を使う苦労を自ら、どこかで余計に作り出さないといけなくなるという事になります。
例えば、昔は体重減量については殆ど考えませんでした。第二次世界大戦後食料品が枯渇していた場所では、如何に太るかということが目下の目的とされていました。今、生活習慣病への対策として、余計に「減量行為」を敢えてしなくてはならない時代になりました。
頭も同じで、使わないと錆びれますから、求めて頭脳を使う「労」を持つ必要性が出てきたのが現代社会であると言えましょう。それ故、自分の手を動かし、ブログを書く事で頭脳に如何ばかりかの負担を掛けて、正常に保つ、
または、伸長させるためにも当ブログを立ち上げた意義は無駄ではない思われます。堅苦しい見方は抜きにして、ご覧頂ければ幸いです。
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